第35回 盗人が宝石を捨てるとき
盗人が宝石を捨てるとき
盗人を主人公にした話を書く際に、つい陥ってしまいがちな盲点があります。それは自分の行ないを悔い改めた主人公が、真人間へと急に変身してしまうことです。
反省することは悪いことではありません。が、読者は思うはずです。えっ? こんなにあっさりと改心してしまうの? と。
結びの段階で盗人だった人物が真人間へと変わるまでの心の変化が書き足りていないとリアリティーに欠けてしまいます。そこで、6年生の教科書に掲載された立原えりか先生の「あんず林のどろぼう」(岩崎書店)が良いお手本になります。
1人のドロボウが町から宝石を盗み、あんず林に迷い込んできました。どんな宝石店でもスルリと忍び込むことができるドロボウは天才的な自分の腕に酔いしれていました。
買ってきたアンパンと牛乳を人目につかない場所で食べるつもりでした。ところが、迷い込んだ花ざかりのあんず林がキレイすぎて、いたたまれなくなるのです。
「おれはこんな所で、アンパン食っちゃいけないんだ。たくさんの花が見ている所で牛乳のんじゃ、いけないんだ……」と。
ドロボウが走っていこうとしたとき、木の下で赤ん坊が眠っているのを見つけます。
置手紙には「こんな所に来る人はやさしい人にちがいありません。私に変わって、このぼうやを育ててください」とあるのでした。赤ん坊がぱっちりと目をあけると、ドロボウに両手をさしだしました。赤ん坊の目に映っているのは、ピンクの花の色と青い空です。「おまえ、腹がへっているのだろう。おれがいいものをやるぞ」彼は自分が盗人であることも忘れて、牛乳をのませようとしますが、どうしていいかわかりません。
しかたなく、自分の口にふくんだ牛乳をのませると、赤ん坊はくちびるに吸いついてのみはじめ、ニコニコと笑ってみせたのです。
40年生きてきたドロボウは、ずっと一人ぼっちでした。両親の顔も知らないまま、人をまっすぐに見たこともなく、人から相手にされたこともなかったのです。犬はドロボウを見ると唸り、ネコからはソッポを向かれます。ところが、赤ん坊だけがドロボウに微笑みかけてくれたのでした。
知らぬまに、ドロボウは涙で顔がぐちゃぐちゃでした。服の袖で顔をこすっても、涙はあとからあとから、とめどなく落ちてくるのです。しまいにドロボウは、声をあげて泣きつづけました。
盗んだ上着や、宝石の首飾りも捨てました。ピカピカのくつをぬぎ捨てると、赤ん坊を抱えたまま、はだしで、あんず林を通っていくのでした。彼はもう、ドロボウではなくなっていることが読者にも読みとれます。まるで、あんず林の魔法にでもかかったかのように。
浜尾
イラスト 安田隆浩
昭和36年東京生まれ。東京藝術大学美術学部卒業。『あんず林のどろぼう』(立原えりか・作/岩波書店)、『走りつづけて、かがやいて』(立原えりか・作 /旺文社)、『かいぞくゼリービーンズ』(渡部めぐみ・作/ベネッセ)などの童話の挿絵をはじめとして、本、CDのカバーイラスト、広告など幅広い創作活動を行う
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