第29回 わたしの『絵のない絵本』

イラストは、Bing人工知能の作品


わたしの『絵のない絵本』


 1990年代、どこかの山中を走る夜行列車を月が照らしている情景が浮かんでいました。が、それはまだ私にとっては漠然とした影絵でしかなかったのです。当時、マニラのゴミ捨て場の町にあったスモーキーマウンテンでは、5歳ぐらいの子どもから大人までが生活費を稼ぐためにゴミの中から鉄クズを探して廃品回収に明け暮れていました。 

日本では、モデルさんのようなフィリピン女性を何人も見かけるようになりました。 

出稼ぎのためにエンターティナーやホステスとして日本に入国する彼女たちの多くは、フィリピンからの旅立ちの時と日本から帰国する時とではその期待感が対照的であったといいます。二人の女性に取材した時、片言の日本語しか話さなかった彼女たちの年齢は16歳であることがわかりました。 

私の中で、カーペンターズの「イエスタデイ・ワンスモア」の歌声と共に、ぼやけていた影絵が鮮明になり、一遍の物語を創ることができました。 


月とマニラ 

月の光が深い山のなかを走る夜行列車を照らしていました。窓ぎわに1人のフィリピーナがいます。ひときわ長いまつげの、ぱっちりとした瞳の娘でした。耳にはつつましげなピアスと、胸には十字架のペンダントが光っています。娘は希望を失っていました。 

16の春、家族の生活をささえるためにニッポンにやってきたのですが、毎日の暮らしが娘からささやかな夢までも奪いとってしまったのでした。 

娘は月をみつめていました。ひたすらに……窓の外を電信柱が流れていき、黒く染まった山なみも、大きな川にかかる鉄橋もとおり過ぎていきました。娘はしずかに目を閉じながら、生まれ育った遠いマニラのあの貧しかったころを思い出していました。 

母親は幼い娘のために、シャボン玉をふいて、その中にいれたクマたちを月へとばしてあげる『つきのわぐまのはなし』を聞かせてくれました。月にはたくさんのくだものがなっていましたから、クマたちはおなかをすかせることがないのでした。「もういちど話して」と娘はねだりました。母親が話しおわると、また娘は言うのです。「もういちど話して」と。母親は何度も話して聞かせました。そのたびに娘は笑いました。目を輝かせながらいつまでも笑いました。きっと、クマたちは月の世界でしあわせに暮らしているということを信じていたのでした。 

列車はいま、単調な音をくりかえしながら闇の中を縫うように終着駅に向かって走り続けています。娘の瞳に映った月がゆれながら輝きました。頬にこぼれた一粒のなみだが――すべてを語っていました。 

浜尾

漫画家・エッセイスト|赤星たみこ 作


童話作家|浜尾まさひろ

作成者|随筆春秋事務局 正倉一文

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