第23回 昭和の紙芝居から学ぶもの


昭和の紙芝居から学ぶもの


絵本には我が子に向けて読み聞かせ、反応を確かめられる利点があります。子どもは母親が語りかけてくれることによって安心して物語の世界に浸ることができるのです。

一方、図書館やイベントなどでボランティアの方が数人の子どもたちに絵本を広げて読んでいる姿を目にすることがあります。

紙芝居の役割を絵本で代用しているように見えます。が、私からすれば、効果的とは思えません。紙芝居の性質をまるでわかっていないのです。子どもから数メートル離れた場所では、絵本の絵は小さすぎて、ほとんどの子どもは虚ろな目をしていたり、ぽかんとした表情をのぞかせているだけです。

そのむかし、「動く幻灯」と呼ばれた「写し絵」は江戸時代に生まれ、世界で最初のアニメーションの試みといっていいものでした。やがて「写し絵」から「立絵」になったものが紙芝居となって発明されたのです。

紙芝居は絵で見せる芝居――つまり、絵物語を演出するのです。箱形の枠に入れた絵を子どもたちに注目させ、話を語るおじさんが太鼓を叩いては次の絵場面を瞬時に見せる早技芸のような絵話です。

おじさんの語りが、登場人物に感情移入させて物語の展開を理解させるのが本来の紙芝居の役割のはずです。その点、絵本は読み手がめくることを前提に作られている「総合芸術」です。紙芝居とは「動」と「静」ほどの違いがあるといっても過言ではありません。

戦前、娯楽だった映画が活弁からトーキー(音声を伴った映画)になっても、昭和8年頃から流行りはじめた紙芝居は児童文化のひとつの中心でした。

テレビが一般家庭になかった時代、子どもたちは町角に出現する移動舞台に集まり、「黄金バット」や「白馬童子」に胸をわくわくさせていました。

紙芝居は、一人で楽しむ絵本とは違って、友だちと肩寄せ合って集団で楽しめる「複合芸術」だったのです。息をのむ展開にドキドキしながら、子どもたちの目を釘付けにさせるテクニックこそが紙芝居の醍醐味といえるでしょう。

私もサイレント映画を活弁付きで今でも観賞しますが(正月などに上映)、ピアノの生伴奏と弁士の語りで観る映像美は芸術性が高く格別な迫力があります。紙芝居上演の代金は駄菓子やソースせんべいの売り上げでしたが、大した利益にはならなかったはずです。

商売のふりをしながら、実は子どもたちを眩惑し、楽しませ、心をかすめとることに至上の喜びを味わっていたのかもしれません。本物の紙芝居は衰退しましたが、童話を書くうえで、いかにして子どもたちの心を虜にするのか――失った昭和の紙芝居からは学ぶべきものがあるのです。

浜尾


童話作家|浜尾まさひろ

作成者|随筆春秋事務局 正倉一文

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